一緒に居ようって、あれだけ言ってくれたのに。
どうして、どうしてなの?私の何がいけなかったの?答えてよ、レイス――…。
ぐるぐると廻る悲しみと絶望の淵から、私は一晩中酒場で飲み明かしていた。
「隣、空いてる?」
そんな私を救ったのは、‘彼’だった。


――A-2【選ばれなかった者】――


「嫌な世の中だよな。俺、今日彼女に振られたんだ」
隣に座った男はやけに喋る男だった。私が座っていたのはカウンター席だから隣に誰かが座るのは当たり前だけど、どうしてわざわざ私の隣を選
んだんだろう。開いてる席は他にもあるのに。
「別れ方が酷くってさぁ、‘この浮気者!’だってさ。俺浮気なんてしてねえっつーの。仕事の関係で女の子と行動してただけなのに」
そう言ってカクテルを口に運ぶ男が、何だか滑稽で除々に可笑しくなってきた。
思わず笑ってしまうと、吊られて男も笑う。
「あ、やっと笑った」
「…なんですそれ」
「笑ったら可愛いだろうなーって。あと、」
グラスをテーブルに置いた男が、微笑した。
「なんか複雑そうな顔してたから」

…この男なりの優しさなのだろう。その優しさがかつての恋人―レイス―を思い出させ、止まった筈の涙が溢れてきてしまった。
その後は酔ってて記憶が定かじゃない。
唯、男にレイスとの事を全て話したことと、また明日。同じ酒場で会う約束をしたことは覚えている。
男の名は…何と言ったっけか。もっとちゃんと記憶して置けばよかった。
後悔しつつも、男と会う事が楽しみな私がそこにはいた。

――程なくして夜になり、私は昨日と同じ酒場に行った。
其処にはもう昨日の男の姿が有り、手を振ってみると男も嬉しそうに手を振ってくれた。…周りから見れば恋人同士みたいだ。
「おっす、カトレア」
「…あれ。私名乗ったっけ?」
「なんだよ。昨日の記憶ふっとんじゃった感じ?」
半分は覚えてる。男が席に座って馬鹿話をした事までは覚えているが、其処からは正直に言って記憶にない。何時名乗ったかも曖昧だ。
俯きながら頷くと男は苦笑した。
「昨日相当酔ってたもんな。俺の名前、覚えてる?」
それも曖昧だ。何だったっけ…。相手は自分の名前を覚えていてくれたのに、自分が覚えていないことが恥ずかしくなって静かに、小さく頷いた。
「やっぱり?最後にちょろっと名乗っただけだったからなあ」
男はそう言って、もう一度。ちゃんと名乗ってくれた。
「俺はエトナ・アーテルム。今度は覚えろよ」
――そうだ。エトナだ。昨日確かその名前を聞いたと、今やっと思い出した。

其処からはエトナと昨日と同じ様に飲み明かして、昨日以上に酔った私をエトナが家まで送ってくれた。
それからも何回かエトナと会って、最初は唯の飲み仲間だった彼の存在が、私の中で少しずつ変わっていた。
多分。そんな時だったと思う。
――忘れかけていたあの人の子が、お腹に居ると分かったのは。


正直に言って、私はその子を愛せる自信が無い。
レイスと別れてから、私は何も言わずに職場を変えたし、彼の事を忘れようと必死になっていた。そんな時に見つかった子供。相手は当然レイス
だ。それ以外有りえない。だからこそ私はきっと愛せないと思う。
「どうかしたの?」
悩んでいたときに偶々エトナが家に遊びに来て、私は正直にエトナに相談した。
――彼は、元から女の子を甘やかすのが上手かったんだろう。
「俺、カトレアが好きだ。――子供も一緒に育てよう。俺は、絶対にカトレアを裏切らないから」
…傷ついた私に、その言葉は優しすぎた。
私はその言葉に甘え、レイスとの子を、産んだ。
エトナは本当に私の傍に居てくれた。結婚して、幸せを手に入れた。
それは有る意味レイスという存在が居たからだと思う。だから、もうきっと会う事の無い貴方へ。
――「ありがとう」という意味を込めて、子供の名を、彼が希望していた名前にした。エトナは何も言わず、了承してくれた。


――2月2日。エトナ・アーテルム、カトレア・アーテルム。第一児。
名を、リト・アーテルムとする。

貴方が、レイスが付けたいと言っていた子供の名前。
貴方への感謝と敬意を、この子に託します。










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