唇が震える。怖い、と訴えている。
だって怖いよ。相手は前衛で、しかもかなりの力量とスピードを持っている。ターヴェラ湿原で戦った時に負わされた傷が、痛みを覚えている。
それでもこれはあたしが選んだ道だから、引くことは出来ない。分かってるけれど。
「――ウィンディア!!」
考えてる内に、指が勝手に術を生み出していた。詠唱を無くして術が使える今、言霊を紡ぐだけでこんなに早く術を生み出すことが出来る。
それを迅速にかわしたキースが、次の瞬間にはあたしの背後に立って鎖鎌を振るい下ろした。
咄嗟に前に身を投げ、顔を確認するより早くもう一度指を振り下ろす。
「――バーストライボルト!」
油断していたら、死ぬのはあたし何だ。改めて思い知らされ、地面を慌てて立ち上がった。


*NO,133...願い事、ひとつだけ*


「死ねよ!!」
放った術を更にかわしたキースが、此方に向かって鎖鎌を投げつけてきた。
投げられた鎖鎌も尋常じゃない速さである以上、避けるのは無理だ。それなら防御するしかない。
「ブロフィティ――」
風の圧迫で、打たれた鎖鎌を弾き返した。
直ぐに反撃に出る。一瞬の行動でも遅れたら、きっと負ける。から。
「アクエス!!」
水の中級魔術は即座に発動し、キースに向かって飛んで行った。
飛んで行った所までは良かったが、相変わらずのスピードでそれを避けられ水の攻撃は空しく壁に反響する。
小さく舌打ちをした。このままじゃキリがない。どうにかしてキースに攻撃を当てないと。
そう思い、なるべく範囲の広い技を出そうと指を振り上げる。
――その途端、風を切る様な音が聞こえ、咄嗟に身をかがめた。
身を屈めた直後、頭上数ミリの所を鎖鎌が駆けてゆく。同じく舌打ちをしたキースが再び此方に鎖鎌を投げてきた。
その場を咄嗟に走り出す。頬を微かに鎖鎌が傷つけたが、傷はソレだけで済んだ。
どう考えても幸いな方だ。眉間に皺を寄せるキースに再び指を振るい下ろす。
「グランドダーツ!!」
地属性最高位魔術を、男に向かって打ち込んだ。
劣化版とは言え、術式解呪烙印を適応したからこそ詠唱無しで打てる荒業だ。そして攻撃範囲も広い。これなら或いは――。
そう思ったがやっぱり男の方が僅かに早い。攻撃範囲が広い事も直ぐに見抜かれ、あっさりと攻撃をかわされてしまった。
どうしよう。どうすれば良い。
焦りが浮かぶ中、とにかくもう一度術を打とうと体制を立て直した途端――背中がきりきりと痛み出した。
「っ…!」
……まさか、もう刻印に限界が来てる?
レインに「何時効果が切れるか分からない」と言われた以上、あたしもその覚悟をしていたけれど、まさかこんなに早いタイミングだなんて…!!
思わず舌打ちをしたと同時、ある発想が頭に浮かんだ。
多分、こんなに早く効果が切れてしまったのは――レインが刻印を彫る‘彫り数’を減らしてしまったからだ。
レインは泣き叫ぶあたしに気を使って、刻印をアレンジしてくれたのだろう。なるべく少ない数の彫り数で、刻印が完成するように。
現に彼もあの時呟いていた。「刻印の数は俺の時に比べて大分減らしている」って。
――それが仇となったんだ。刻印が簡素になってしまった所為で、効果も短い期間しか持たなくなってしまったのだ。
多分そういう事に違いない。確信に近い思いが過ぎる。

…考えている内に、キースが目の前に居た。
避ける場所も時間も無い。もう一度ブロフィティを使って攻撃を避けようとしたけれど、言霊も間に合わない。
打つ手が無いまま呆然と立ち尽くしていれば、キースから前蹴りを食らって地面に倒れた。
立ち上がろうとして、腕を掴まれる。抵抗する前に腕を有らぬ方向に曲げられた。
「あぁああっ!!!」
骨が折れる痛感な音が聞こえ、痛みに悶絶する。
その姿に男が薄笑みを浮かべた。そしてあたしにもう一度蹴りを入れてから、髪を掴み上げてくる。
「俺がてめえ見てえな餓鬼に負ける訳ねえだろ。力量を測り損ねたな?」
…それは、有るかも知れない。
アシュリーがフェンネル、レインがノエル、セルシアがリコリスと対峙をしてくれた。だからあたしがキースと対峙する事になったけど、あたしも何処
かで不安を抱いていた。あんな戦闘狂の男に、はたして私が勝てるのかっていう恐怖が、何処かに眠っていた。
それでも、レインに適応してもらった‘術式解呪烙印’が有るからよっぽど大丈夫だと、私は何処かで思っていたのかもしれない。
それが間違いだった。キースの迅速なスピードに、私の術は対応しきれなかった。
いくら詠唱を省いているとは言え、動きに着いていけないんじゃ意味がない。

キースが振り上げた鎖鎌を見、ああ。私は殺されるんだ。そう感じた。
目を閉じた瞬間、鎖鎌の刃の部分では無く、何故か刃の着いていない場所で思い切り殴られる。その瞬間、引っ張られていた髪を離され地面に再
び崩れた。
分かった。この野郎、正真正銘のサドだ。私を敢えて嬲り殺す事で弄んでいる。
薄笑みを浮かべた男が胸辺りを蹴ってきた。私の体が壁まで転がる。痛みの所為で、動けない。
「…せ、る…しあぁ…」
泣き言を言ったら駄目だって分かってたけど。分かってても無理だった。
痛くて辛くて、悶絶した中で出たのは彼の名前だった。
助けて、助けてよ。セルシア…。

零れた涙を見、男は妖しい笑みを浮かべ、あたしの髪を再び引っ張った。
「今頃死んでるかもなあ。セルシア・ティグト」
「……し、んだ…?」
「相手してんのがフェンネルかリコリスか知らねえけど、殺そうとしてんのは確かだろう?」
――嫌だ。そんな事絶対無い、セルシアは、絶対にあたしを置いて死んだりしない。
そう思うけど、同時に不安も過ぎって行く。ノエルやキース、リコリス達だって今回ばかりは本気であたし達を殺しに掛かってきてる筈だ。だからあ
たしもこうしてキースの前に屈服している。
もし、セルシアがリコリスにやられて…私と同じ状況になっていたら?
そうなったら…。

「い…っ……!!」

鎖鎌が振り下ろされる音と同時に、あたしの体は壁へと投げられた。
また、骨が折れるみたいな痛快な音が聞こえ、胸が赤に染まる。
…今度こそ本当に鎖鎌で刺されたみたいだ。上手く呼吸が出来ない。痛くて悶絶した後、咳き込むと唇から血液が流れて来た。
荒い呼吸で必死に酸素を吸おうとしながら、思う。
まずは落ち着かないと。冷静になれ。どうすればキースに勝てるか、考えないと。
キースのペースに呑まれちゃ駄目だ。現にさっきはやや向こうのペースに乗せられていた。
冷静な判断まで失っちゃいけない。勝算が1%でもあるなら、足掻かないと。だってイヴと約束したから。‘後から行く’って。
だからこんな所じゃ死ねない。
きっとアシュリーもセルシアも、レインも。今頃戦ってる。そんな気がする。
だから私だけが弱音を吐いてちゃ駄目なんだ。負けちゃ駄目。何の為に此処まで来たのか、考えなさいよ。あたし。
無理に深呼吸して、ゆっくりと近付いてくる男を薄めで見ながら、必死に考える。
今の攻撃で骨が折れた見たいな音が聞こえたのは、どっかの骨がまた折れたからだ。…折られた、って言ったほうが正しいけれど。
何処の骨が折られたのか。答えは明白に近い。
呼吸が出来なくなってる。肺が痛む。これが何よりもの証拠だ。多分あたしはさっきの攻撃で、肋骨をやられた。
肺が痛むのは折れた肋骨の骨が肺の何処かに刺さってしまったからなのだろう。あたしは医学に詳しい訳じゃないけど、情報科としては最大規模
であったunion――SAINT ARTSに所属していたんだからその位は分かる。
治療するのは、多分レインかマロンみたいなかなり治癒術を極めた人間じゃないと無理だ。
でもレインもマロンも此処にはいない。じゃあ回復は出来ない。それなら、せめて負担を軽くするしかない。
なるべく体を平行に保つ為、壁に手を付いて何とか起き上がった。尋常じゃない痛みが走るけど、正直背中に刻印を打ったときよりかは随分マシ
な痛みだ。この位なら、耐えれる。
…痛い訳じゃない。涙が溢れる位痛いけど、取り乱す位叫んだあの刻印の痛みに比べたら、こんな物――平気だ。
近付いて来たキースがあたしの姿を見て薄笑いを浮かべる。
「俺はサドなんでね、人が苦しむ所は大好きなんだ」
「そんな、こと…気付いてたわよ…。…こ、の…変、態……」
痛む肺に手を当てながら、せめて口で反論をした。
あたしの言葉に機嫌を悪くしたキースが、あたしの足に鎖鎌を振り下ろす。…刃の着いている方だ。切っ先が足に食い込み、足からは血が溢れて
きた。
「っ――!!」
叫んだら余計に痛い。刻印を彫った時に学習した。だから声を抑え、涙を必死に堪える。
足の傷を確認しようと足を動かそうとしたが、どうやら鎖鎌が刺さったままになってる様だ。痛くて重くて動かせない。…きっとエグイ事になってるん
だろうなと思いながら、遠くなる視界で必死に意識を保とうとした。
想像以上に体が疲れを訴えている。痛い。辛い…。
また呼吸が荒くなってしまった。無理に呼吸をしようとしても余計に痛むだけだと分かっていても、呼吸を早める肺は止まらない。肺が上下する度に
折れた肋骨が刺さって痛い。
「――それじゃあ、そろそろ殺してやるよ」
足から思い切り鎖鎌を引き抜いたキースが、血の滴る鎖鎌を振るい下ろす。
こんな所で死にたくない…。…けれど、体がもう動かない。
遠ざかる意識。薄れる音。あたしは此処までかもしれない…。痛みと死を覚悟したその瞬間――奇跡の様なタイミングで、それは光り輝きだした。
「っ――?!」
光に反応したキースが、恐らくあたしが術を放ったと思ったのだろう。後ろに引き下がりあたしの様子を伺っている。
けれど光を放っているのは術でも何でも無く――心龍から受け取った心具だった。
――前の心具…‘ネメシスの石’は、あたし達の絶望や失望に反応し、封印を解いていた。
今回の心具もそうなのかもしれない。あたしの絶望を感じて、あたしの目の前に現れた。いや、それとも…心龍が力を貸してくれているのかもしれ
ない。夢喰いを封印する前に勝手に死ぬなって事か。苦笑し、目の前で光輝きながら宙に浮いているナイフを掴む。
その瞬間、ナイフは手に落ちてきた。
ナイフ形の心具を掴んだ瞬間、呼吸の苦しさも与えられた痛みも全て薄れていく。…これも心具の力の一つなのだろう。
…有難う、あたしに力を貸してくれるのね。
労わる様にナイフを撫で、壁に手を付いて立ち上がる。

「…てめえ、何しやがった?」

「…さあ?何したんでしょうね」

わざとおどけてみせた。
あたしの態度に舌打ちしたキースが此方に鎖鎌を投げてくる。それをナイフの切っ先で弾き返した。
背中の刻印も、今はそんなに痛くない。これも心具が痛みを軽減してくれてるお陰だろう。本当にこの心具に感謝を込めながら、言霊を紡ぐ。
「幻想に還る無情なる闇の刃は、やがて世界の光と成りて、この世界に祝福と慈悲を降り注ぐ」
キースが再び鎖鎌を投げてきた。…避けようと思ったけど、避けなくても良かったみたいだ。自然と手から離れていったナイフが、独りでに鎖鎌の攻
撃を弾き返した。
「何っ…?!」
流石のキースもこれには驚いたらしい。正直言ってあたしが一番びっくりだけど。
あたしは本当に運が良かったんだと思う。心具に助けられた。だからこうして形成を逆転出来た。

「…ばいばい、弱かった頃の私」

そうして振り上げ、振り下ろした指は新たな光を生み出す―――。


「――クリムゾン・ブレード」


振り下げた指はキースに向け、激しい光となった炎の刃を振り下ろした。







―――爆音。
ドームを揺らす様な激しい音と揺れに、あたしの体も倒れ込む。
その瞬間。忘れていた痛みが一気に跳ね返ってきた。見上げれば其処にもう、心具の姿は無い。多分あたしの胸の内に戻っていったのだろう。つ
まり、役目を果たしたって事だ。心具が役目を終わらせたって事はつまり――。
爆炎の向こうを、目を凝らして見つめる。
――其処には今のあたし同様、地面に屈服するキースの姿が有った。

勝った。…とは言えない。これはどっちかって言うと引き分けだ。
苦笑すると唇から血が溢れて来る。喉に何かが詰まってる感じがして、咳き込むと血の塊が出て来た。
せめて扉の傍に行こうと地面を這いつくばるが2、3歩で力尽きる。
…ごめんイヴ。あたし、あんたに嘘吐いた。もうそっちには行けない、かも……。
激しく消耗した体が痛みと疲れを訴える。
皆は、セルシアは無事かな。イヴ達は無事にヘレンの所に行けたのかな。
全部あたしの目で確認したかったけど、どうやらソレも叶いそうにない。

――ごめんね、ありがとう……。
最期にそれだけを思い、私は瞳を閉じた。










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