投げた戦輪がリコリスに防がれたのを確認するより前に、その場を走って逃げた。リコリスは術を使ってこないけど、万が一って事も有る。
闇の声の旋律、御士へ手向けよ――ダークトラット!!
戦力的に考えれば、術を使える俺の方が多少は有利だ。
――とは言え、前回はその考えが甘く、魔術増幅器を壊されてしまった所為で全く術が使えなかったのだが。
そう。だから増幅器だけに最善の注意を払っていれば良い。万が一今付けている物―レグロスから貰った高位魔術増幅器―を壊されても、俺が前
に付けていた増幅器がまだ手元に有る。…どうにかならない範囲じゃない。
戦輪を弾き、術をかわしたリコリスが此方に向かって斧を振るって来る。
それをしゃがんでかわしてから、先程上に投げたもう一つの戦輪を拾い上げた。


*NO,132...断罪*


続けて振るい下ろされる斧の攻撃を、今度は拾った戦輪で防ぎきった。
リコリスが斧の切っ先を振り上げると同時に、一旦その場を離れて体制を立て直す。
長い詠唱は、多分出来ない。
最高位魔術。BLACK SHINE本部に辿り着く前にリネに誘われて少し勉強したけれど、恐らくあれだけの量の詠唱をする時間を、リコリスは与えてく
れないだろう。ブラックチェインで動きを封じても、恐らく詠唱が完成するより鎖が解ける方が早い。
「冷血な監獄、汝を閉じ込め破壊する――フリーズドライヴ!!」
となれば、初期魔術を打ち込んでいくしかない。威力は術のレベルの中では最弱だが、最も詠唱が短い。
俺もレインにあの烙印を打ってもらえば良かったかも知れない。刻印を打って貰ったリネが大分痛がってたけど、彼女があの力を強引にでも手に入
れたかった理由がこんな時になってやっと理解できた。
先程と同じ様に術をかわしたリコリスが、此方に何かを投げてくる。
…魔弾球。イヴが使っているのと同じタイプの物だ。なるべく煙の立たない場所に逃げ、リコリスの姿を探した。
――居ない。そう思った瞬間、後ろに殺意を感じて振り返る。
振り下げられた斧は、もう目前にまで迫っていた。咄嗟に手に持っていた戦輪で斧を食い止め、一歩後ろに下がる。
…VONOS DISEで戦った時よりは大分応戦出来てるけれど、でもやっぱり俺の方が力量不足だ。
術が有るから何とかリコリスの優位に立っていられるという、それだけ。
「天の歌声、高く輝き悪を貫く――ホーリーグランド!」
同じく体制を立て直したリコリスに、もう一度術を打ち込んだ。
それをかわしたリコリスに、一瞬の隙が出来る。その瞬間を狙って戦輪をリコリスに振るい下ろした。――投げるより持って攻撃したほうが、威力は
高い。
唯、その判断に後悔した。向けられた戦輪を寸での所で素手で受け止めたリコリスが、片手で斧を振るい上げた。


堕ちるのは、どうしてこんなに簡単なのだろう。
腹部に走った鈍い衝撃に、足が地面に付いた。

「っ……」

喉に手を当てる。かなり上まで斧を振り上げられた様だ。喉の直ぐ下辺りまでが血に染まっていた。
――声が、出ない。喉に風が通る鈍い音しかしない。

「増幅器を壊さなくても、声が出なければ術は使えないよね?」

目の前に立つリコリスが悪魔の笑みで再び斧を振るい下ろした。
直感が、危険信号を訴える。痛みを堪え、体を左に投げ出した。地面に倒れ、喉に手を当てながら必死に声を出そうとする。
唯、それは無力だった。恐らくリコリスはどの部分を攻撃したら声が一時的とは言え出せなくなるのか、計算していたんだ。
だから先程の俺の攻撃を、避けずに受け止めた。
…俺が昔リトと戦った時、リトにした事と一緒だ。相手が違うとは言え、同じことを返されるとは夢にも思っていなかった。
「けほっ…」
枯れた喉から溢れるのは赤い液体だけだった。それでも座ってる暇は無い。早く反撃しないと、リコリスがまた次の攻撃を仕掛けてくる。
よろめいた足で立ち上がり、辺りを見回した。このままじゃ前回みたいに嬲り殺しされるだけだ。早く、手を打たないと。
とにかく、手放したもう一つの戦輪を拾おうと体を引きずるように走った。その直後、リコリスが目の前で斧を振るい下ろすのが見え、咄嗟に身を屈
める。
…体全体が、痛い。
膝を突いた体で、地面に転がっている戦輪に手を伸ばす。もう少しで届くと言う所に――リコリスが戦輪を斧で弾いた。
「っ――!!」
「これじゃあ、取りにいけないわね」
皮肉を謳うように笑った彼女は、そうして俺にもう一度斧を振るい下ろす。
避けれなかった。肩に巨大な衝撃を与えた斧に、声にならない悲鳴を上げて悶絶する。

――不意に思い出したのは、リネからの一言だった。
ウィンドブレスに滞在している間…。リネの体調が大分良くなってきた頃に、彼女から一つ、教えてもらった事が有った。
『詠唱以外に術を使う方法が有るって、知ってる?』
あの時のリネはレインが作ってくれた痛み止めで大分体調は良さそうだたけど、まだ立ち上がったり体を起こしたりする事は不可能だった。だから
大人しく寝転がっているしか無く、寝転がったまま出来る事など傍に居る俺と話すことだけだ。
彼女としては雑学で俺に教えてくれたのだろう。俺もそのつもりで聞いていた。

(―思い、出した)

リネはあの時言っていた。
‘詠唱を使わずに術を使う方法’。…術に詳しい彼女だからこそ知っていたその方法を、雑学とは言え聞いておいて良かったと今は本当に思う。


「そろそろ死んどく?」
そう言って振り下ろされた斧を、寸ででかわしきった。
痛む体を無理矢理叩き起こす。痛い。痛いけれど、寝ていたら死ぬだけだ。
黙って殺されるくらいなら、抵抗して殺された方がマシだ。最期まで俺は足掻いてやる。
立ち上がり壁に手を付く。…リコリスはその場で此方の様子を伺っていた。俺が何かをする気で居る事は分かっているみたいだ。


――元々詠唱って言うのは、術を発動させるための‘魔方陣’を作る為の言霊なの。

―…魔方陣?

――術を使う時、足元に陣が浮かび上がるでしょ?あれが‘魔方陣’。術を作り出す源よ。
そしてソレは本来、詠唱をする事で創りだす事が出来る。

―……。

――…つまりね。‘詠唱以外に術を使う方法’ってのは、






書けば良いのよ。自分の手で、魔方陣を。



――あの時リネは確かにそう言った。


その時は‘そうなんだ’と素直に思う半面、使う事は無いのだろうなと思っていたのだが。よく考えてみればこれはかなり有力な情報だったと思う。
今の俺みたいに声を潰された時。或いは、何らかの原因で詠唱が出来ない時。詠唱を無くして術を使う事が出来る。
リネとレインの持つ烙印…‘術式解呪烙印’は、この原理を応用したモノだそうだ。
自らの体に全ての術を作り出す高緯度な‘魔方陣’を描く事で、詠唱を無くして術を使える様にするという原理だ。
原理自体は簡単なモノだが、‘全ての術を創り出す為の魔方陣’など容易に浮かぶ事では無い。だから、今までこの技術は生み出されなかった。
…最もヘレンがこの技術を確立させたのだが。
そう。だから魔方陣さえ描く事が出来れば、術式解呪烙印を無くして詠唱を省く事が出来る。
…正直何時も使っている術の魔方陣でさえうろ覚えだ。だけど、これしかもう方法は無い。
リコリスはもう俺が術を使ってくる事は無いと信じきっている。
今なら確実に不意打ちをつける。そうすれば、或いは形成が逆転する可能性も――高い。

壁に手を付き、リコリスを睨みながら手の甲に自分の血で魔方陣を描いた。一番記憶にあるのは最も良く使う闇属性初期魔術―ダークトラット。
滴る赤の液体で五芒星を描き、その周りに丸を囲う様にして術語を書く。…リコリスは此方が何をしているのかイマイチ分かっていないようだ。怪訝
そうな顔で此方を見ていた。…大丈夫。いける。
一度だけ書き上げた魔方陣に目を落とす。…俺の記憶では、これで間違ってない。
静かに壁から手を離し、リコリスに近付いた。
「…みすみす死にに来た?」
眉間に皺を寄せながらも唇を緩ませるリコリスに、首を横に振る。
呟きでも良い。言霊さえ吐く事が出来れば、俺が今さっき右手に書いた魔法陣が恐らく、術を生み出す。
――詠唱程の長い言葉だと、多分発音出来ない。けど、さっき壁に手を付いて少し休んだから、言霊を吐くぐらいの気力は有る。
同じく近付いて来たリコリスが無言で斧を振り上げた。
その斧が振り下ろされると同時。俺も叫ぶ。今有る懇親の力で。
「――ダーク、トラット」
その瞬間。魔法陣を書いた右腕がギリギリと痛みを発しだした。…痛さの余り右手を押さえる。けれど、術は確かに発動していた。
まさか俺が術を使うなど夢にも思っていなかったのだろう。驚いた顔をしたリコリスに、術が直撃した。

…恐らく今の右手の痛みは、体の中に流れる魔術エネルギーが活性化したからなのだろう。リネが烙印を打って貰った直後の痛みと、今のはきっ
と似たような現象だ。
何にせよ少しだけ俺がリード出来た。肩で息をしながら、煙幕の中でリコリスの姿を探す。――その瞬間。

「っ――!!」

背中に激痛が走った。殴られたとか、そんな痛みじゃない。何かが突き刺さる様な痛み。
その場で崩れる様に倒れる。同時に、地面に俺のモノと思われる戦輪が落ちた。…背中を襲った激痛は、これが原因の様だ。

「とんでもない事してくれるじゃない。お陰で腕怪我しちゃった」
そう言ったリコリスは――未だ平然としていた。
絶望に落とされる。足掻きは無駄に終わってしまった。
もう不意打ちは通用しない。ダークトラット以外に思い出せる魔法陣も無い。何よりこれ以上声が出ない。
近付いてきたリコリスが、引きずりながら持ってきた斧を振り上げた。

「良い加減に死んでよね。その方が、あんたも楽よ?」

嫌だ。まだ死ねない。だけどこれ以上は本当に何も出来なくて、呼吸をする事だけでも精一杯な俺に今度こそ打つ手は無い。
リコリスが、持っていた斧を振り下ろした。死を覚悟し目を閉じた瞬間。…一瞬、フラッシュの様な光が目の裏を走った。
驚いて目を開ける。同時に、斧の攻撃を金属が跳ね返す。
顔を上げた。斧を受け止めたのは、空中で光を発しながら浮かんでいる、心龍から受け取った心具だった。
…俺を、助けてくれたみたいだ。
何故か突然痛みを無くした体を起こし、その戦輪を握った。光を収束させた戦輪は、手の内にしっかりと握られている。
体中に感じていた痛みも、喉の渇きさえも感じられなかった。
心龍が力を貸してくれているのか、心具が前のネメシスの石の様に俺の意思に反応したのか。
何にせよ、どう考えたって形勢は逆転だ。俺もこんな奇跡は幽霊船以来二度とめぐり合えないと思ってたけど、運にだけは恵まれてるみたいだ。
呆然とするリコリスに、指先を向ける。詠唱を、呟く。
恐らく体の痛みを感じなくなったのも、声が出るようになったのも。この心具が俺を助けてくれているからなのだろう。心から感謝を祈った。
「――そして全てを滅する光は、この地に天(あめ)と成り、降り注がん」

「…あんた、ソレ。何なの?」
「…新しいネメシスの石。って所だろうな」
唇を一瞬綻ばせてから、目の前に立つ女に焦点を合わせる。
「――俺は全てに決着を付ける」
その為に此処に来た。
10年前の弔いを、リトとの約束を、リーダーへの宴を謳う為。そして…イヴ達に今度こそ、恩返しをする為に。

指を振るい下ろす。それは夜を飲み込む天の光。

「エンシェント・ブレス」

――程無くして発動した術は、ホールを包む爆炎を巻いて発動した。



そうして、膝に足を付く。同時に忘れていた痛みが襲い掛かり、吐血して壁に凭れる。
…今度こそリコリスが起き上がってくる気配は無い。とは言え、俺ももう動けない。
手に持っていた戦輪が淡い光となって、俺の体内に戻っていくのが見えた。

――此処まで、か。
苦笑する。イヴに嘘を吐いてしまった。行くって言ったけど、俺は多分…無理だ。

けれど、イヴ達なら。
俺が居なくても。もう、大丈夫だよな…?


少しだけ微笑んだ。微笑んだ唇から血が溢れてくる。そして、指先から力が抜けていくのを感じながら、目を閉じた。










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