…すっかり忘れていた。此処はBLACK SHINEに所属している人間の3割近くが出歩いているのだ。
だからリコリスやフェンネルが此処に居たって全然可笑しくない。……もうちょっと慎重に行動するべきだったと今更後悔する。
出くわしてしまった以上多分唯じゃ帰れない。短剣を投げてきたのだって宣戦布告の合図だ。戦闘は避けれない、か…。
セルシアの表情が少しだけ強張っている。…そりゃあそうだよな。きっと彼にとっては忘れもしない存在だろう。VONOS DISEを滅ぼした奴等でも有
り、彼の尊敬していた‘VONOS DISEリーダー’を殺したのもこの2人なのだから。
静かに剣を抜いて刃を構える。…薄暗いし場所も狭いからこんな場所で戦闘をすると相当危険なのだが、如何にかして追い返さない以上道は開
けない。エレベーターは直ぐ目の前だっていうのに…!!
無邪気に笑うリコリスと、相変わらず無表情なフェンネルはお互い顔を見合わせ――直ぐに此方に攻撃を仕掛けてきた。


*NO,86...戦風*


此方に向かって走ってきた彼女が大きな斧を振り回して振り下ろす。剣でそれを何とか防いで後ろに下がった。
「こんな所で戦うのは幾らなんでも不利だぜ?」
傍に居たレインが声を掛けて来る。そんなのあたしだって分かってるわよ。けど向こうだってそんな簡単に逃がしてくれる相手じゃない。
何とか隙を作ってエレベーターで避難するしかないか…。一度エレベーターが動き出してしまえば此方の勝ちだ。
けど此処で問題なのがエレベーターの定員人数。
あの広さからすると精々4人乗るのが限度だ。2回に分けて避難するしかないって事になる。…タイムロスになるな。どうしよう。

そう考えている前にリコリスからの二撃目が入る。一瞬の事だったがロアが前に出てそれを防いでくれた。
だが敵はそっちだけじゃない。獣の姿となったフェンネルがリネ達の方に襲い掛かろうとしている。
マロンが少し遠くから弓を射り、セルシアがフェンネルの攻撃を戦輪で如何にか防ぎきった。
ぼーっと何かを考えている場合じゃない。とにかくこの2人を倒す事を考えて行動しないと。
自身に活を入れ直して隙の出来たフェンネルに切り掛かる。だがあっさりと交わされ逆に前爪で攻撃されかけた。

「――精練されし聖なる水よ。グラストアクア!!」
それをリネが何とかカバーしてくれる。規模の小さい魔術を選んだみたいでフェンネルに当たりはしなかったものの前爪の攻撃を何とかかわす事が
出来た。リネと目を合わせアイコンタクトでお礼を言う。それから一旦落ち着く為に少し回りの状況を確認した。
詠唱中のリネとアシュリー、それと弓を射るマロンの事はセルシアが守ってくれる。3人のサポートは彼に任せておけば大丈夫だろう。
レインとロアがリコリスと対峙しているから…あたしはやっぱりフェンネルと対峙するべきか。遠くで有余の表情を浮かべる獣に向かいもう一度地面
を蹴り上げて振りかかる。正面から攻撃してもかわされるのは分かりきった事なので死角となっているであろう場所から剣を振るい下ろした。
…手ごたえは無い。やっぱりかわされたか。
そんな中でマロンから援護として弓矢が飛んでくる。フェンネルがそれをかわした隙にもう一度剣を振り上げてみた。
だがやっぱり剣は空しく空を切るだけだ。胴体がデカいから当たるだろうと思っていたが動きが敏速過ぎて中々当たらない。
「――water」
セルシアの後ろに居たアシュリーが援護として此方に術を放つ。彼女も規模の小さい術を選択したみたいでフェンネルの周りで幾つかの水が床か
ら吹き上げた。
器用にそれらをかわしたフェンネルが敏速に走ってリネ達の方に再び攻撃しようとする。声を掛けようとしたがその前にセルシアが戦輪を思い切り
投げ付け、男を上手く退けた。
「唸れ旋風、仇なす敵に風の猛威を。――ウィンディア!!」
遠くに居るリネが2撃目の魔術を放つ。今度はフェンネルでは無くリコリスの方だ。ロアとレインも2人で対峙しているとはいえ結構苦戦しているみ
たいだったので結構役に立つ援護だったに違いない。
リコリスもそれを器用にかわしてみせたのだが直ぐにロアが双剣を振ったので彼女の腕に少しだけ掠った。掠っただけだがこっちとしては一歩リー
ドだ。人数の差というのも有るんだろうがこっちが何とか優位に立てたのでそのペースを崩さない内にもう一度フェンネルに切り掛かる。
それを素早くかわした男が前爪を再び伸ばしてきた。かわしたつもりだったのだが肩口を少しだけ掠める。…さっきのリコリス同様、掠めただけだ。
大した怪我でも無いから放置しよう。一旦後ろに引き下がって体制を立て直す。
「――wind」
「火花散らすは始電の雷神――イグベッション!!」
引き下がったのと同時ぐらいにリネとアシュリーが同時に術を振るった。リネの方はフェンネルに、アシュリーの方はリコリスにだ。
2人共軽々と攻撃をかわしたのだが攻撃を避けている間にマロンがリコリスに弓を撃ちセルシアがフェンネルに戦輪を投げつける。
リコリスの方は2撃目もかわしたのだがフェンネルの方は頬辺りに軽く戦輪が掠った。
眉間に皺を寄せた獣が戦輪を叩き落して、セルシアの方に襲い掛かる。セルシアの前に立って彼への攻撃をカバーした。
「…ありがと!!」
お礼を言ったセルシアがそのままフェンネルの横を通り過ぎて床に転がっているチャクラムを拾う。彼はフェンネルに向けもう一度素早く戦輪を投げ
るが流石に今回はかわされてしまった。
そろそろ潮時だろうか。あまり無理をして対立する必要は無いのだ。エレベーターに近いリネ達から先に避難して貰って…。
そう思っていると身を引いたフェンネルが遠くで何故か元の姿に戻る。…獣の姿だと不利だと感じたのか?何にせよ嫌な予感がする事だけは確か
だ。くそう、何をする気だ?
止まっていてもしょうがないので逃げれる場所を確保してからフェンネルの方に切り掛かる。セルシアが同じ場所からもう一度フェンネルに戦輪を投
げた。それをかわしたフェンネルが一瞬の内に身を翻し、セルシアの後ろに立つ。
「――セルシア!!」
声を投げると気付いたセルシアが咄嗟にその場を離れたが、頬に微かな傷跡が出来ている。…掠めただけなのが幸いだろうか。
そのまま目を合わせてセルシアと2撃目に入ろうとした所で―――不意に後ろから激しい金属音が聞こえて振り返った。どうやらロア達の方の様
だ。2人がやや押されているって事はリコリスもそろそろ本気で来るつもりか…。
改めてフェンネルの方を向き直った頃には――あれ?…気付いたら男が居ない。
セルシアもそれに気付いて慌てて回りを探した。しまった、見逃していた!!
辺りを二人してぐるぐる見回っていると――不意にリネの後ろに黒い影が見える。あそこか!!

「リネ!!!」
先に気付いたセルシアがリネに向け思い切り叫んだ。彼女は呼び声に気付いたは良い物の詠唱中だったから判断が遅れてしまう。直ぐには動け
ないであろうリネの背後に向かってセルシアが思い切り戦輪を投げた。だがそれよりも速く――リネの後ろに立った男が言霊を振るう。
「――Seal」
…駄目だ。どう考えても間に合いそうに無い。リネが漸く後ろを振り返った頃にフェンネルの放った術が発動して―――。



「――っ!!」

…倒れたのはそれを庇ったマロンの方だった。



「マロン!!」
一歩遅れて戦輪がフェンネルの方まで飛んでいくがその頃にはフェンネルは何処かにまた移動していた。壁に当たったチャクラムが空しく地面に
転がり落ちる。その直ぐ傍で倒れたマロンをリネが慌てて支えていた。
傍に寄ったアシュリーがマロンの容態を確認している。セルシアと一緒に傍3人の傍に寄った。
リネは彼女の傍で唖然となっている。彼女をセルシアが慰めている間にマロンの肩を揺すった。…起きる気配が無い。気絶している様だ。気絶で
済んだのが幸い……か。
何にせよこのままマロンが此処に居ると危険だ。……先に誰かと一緒に避難して貰うしかない。
そう決断した所で一度辺りを見回す。考えている間にまたフェンネルから奇襲されたら大変だと思っていたのだが、レインがフェンネルと対峙してく
れていた。リコリスはロアが押さえているから多分暫くはこっちに2人の攻撃が飛んでくる事は無いだろう。…2人がこっちの状況を悟って行動して
くれたみたいだ。レインとロアに心の中でお礼を呟いた。
とは言え2人も確実に疲れている。フェンネルとリコリスを足止めできるのはほんの僅かな筈だ。その僅かの間にこの状況を如何にかしないと。

「アシュリー、セルシア。リネとマロンを連れて先にエレベーターに行って」
とりあえずリネを慰めているセルシアと、マロンの容態を伺っているアシュリーに提案してみる。
2人はその提案に肯定したがその後に少しだけ小首をかしげた。
「でも…イヴ達は?」
「……定員オーバーでしょ。どう考えたって」
エレベーターを横目に見る。さっきも思ったが乗り込めるのは4人が限界だ。それ以上は多分乗る事が出来ないと思う。
その言葉に目を見合わせたアシュリーとセルシアが少し不満そうな顔をしたものの、立ち上がりリネを何とか起き上がらせた。…納得してくれたみ
たいだ。リネの事をアシュリーに任せたセルシアが先に床に転がっている戦輪を拾って、それから気絶したままのマロンの体を抱え上げた。
「…マロンの事、宜しく」
マロンが心配で気が気じゃないけど、あたしにマロンの容態が分かる訳じゃないし、治せる訳でも無い。さっきフェンネルが使った術は何の効果な
のか…それを知っているのは多分同じウルフドール族であるアシュリーだけだ。だから此処はアシュリーにマロンを任せたほうがきっと正確だ。
その気持ちを悟ってから、セルシアとアシュリーが微笑んで頷いてくれた。
微笑んだまま彼が声を掛けて来る。
「分かった。…だから後から絶対追いついて来いよ?」
「あたし達なら大丈夫よ、心配しないで」
はっきり言ってフェンネルとリコリスが居る場所にあたしとロアとレインだけ残されても結構不安なんだけど…そんな我が儘は言ってられない。だか
ら敢えて大丈夫と答え、3人を急かしてエレベーターに乗せる。それから直ぐにエレベーターの閉まるボタンを押した。
錆びたエレベーターの扉が4人を乗せてゆっくりと閉じて行く。
――扉が完全に閉じるまでセルシアとアシュリーが不安そうな顔でこっちを見ていた。

多分これが正確な判断のはずだ。このままマロンを此処に残しておくと気絶している彼女が袋叩き状態になるのは分かりきった事である。そうなる
よりも先にまだ動ける3人と一緒に逃げてもらった方が良いに決まっている。
…リネもきっとマロンの事凄く心配してると思うから一緒に行って貰ったのは正解だっただろう。
それに入り口までの脱出ルートはリネとアシュリーが知ってる。此処まで迎えに来てくれたんだから多分道も覚えているだろう。
こっちもいざとなったってレインが居るし、迷う事はまず無い筈だ。
一旦後ろに下がってきたレインとロアに声を掛ける。
「マロンがフェンネルの攻撃に直撃した。4人共先に行って貰ったけど――問題無いわよね?」
「…まあそれが最善だろうしな」
「オッケーなんじゃない?…それよりマロンちゃん、平気なの?」
「……分からない」
気絶してるだけの様だったけど…詳しく見てみないと何も言えない所だろう。あたしもマロンの事は死ぬ程心配だけど、この2人を残してあたしも先
に行く訳には行かない。それにセルシアとリネ、アシュリーが傍に着いているんだ。きっと大丈夫だろう。


不意に気付くと再び獣の姿となったフェンネルが目の前に居た。剣で何とか対峙する。
4人がエレベーターに乗って先に避難した事に気付いたリコリスが短剣をエレベーターに向かって投げつける。…短剣はエレベーターのボタンに刺
さった。ボタンに皹が入り、エレベーターが動くのをやめる。…セルシア達、大丈夫か?
エレベーターの止まった階を見ると地下3階と地下4階の間だった。……大丈夫と、今は信じるしか無いだろう。
いや…セルシア達が仮にエレベーターを脱出できたとしても、あたし達3人はもうエレベーターが使えない。くそう、どうやって逃げれば良いん
だ?!
舌打ちしたと同時、ロアがエレベーターの直ぐ左にある長い廊下を指差した。
「どっかに階段が有る筈だろ!!其処まで逃げるぞ!!!」
…階段、か。まあエレベーターが壊れてしまった以上そうするしか他に手段は無さそうだ。余り体力の無いリネやアシュリーが此処に残らなくて良
かったと改めて思った。
フェンネルとリコリスに向け思い切り魔弾球を投げつけ、ロアを先頭にしてレインと彼の姿を追いかける。とにかく上行きの階段を探さないと。
振り返ってる暇は無い。セルシア達の事も心配だが…正直今は他人の心配より自分達の心配をした方が良さそうだ。
全力で廊下を走りぬけながら薄々と思った。










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