ヘレンはあの時、確かに言った。「あたしを生贄にして夢喰いを復活させる」と。
そしてそれは成功してしまった。――だからこういう現状になっているのだ。
何度も確認したけど、夢喰いを復活させる為の‘生贄’は、ウルフドールの王族の血族である事が絶対条件。
けれど夢喰いはあたしの体を贄にして復活した。…となれば考える仮説は2つ。
1つ。血族である事が条件という事が間違っている。…生贄にするのは誰でも良かったのかもしれないという事。けれどこれはあんまり考えられな
い可能性だろう。レグロスとネオンからの証言だし、ヘレンもそれを肯定した。
となれば可能性は、もう1つ。――あたしが、

あたしが、アシュリーと血族関係に値する事。もうそれ以外考えられない。


*NO,105...‘ありがとう’*


夜風に当たりながら目を伏せる。…不意に、後ろに人気を感じて振り返った。
「…何してんだよ。行くんじゃなかったのか?」
後ろに立っていたのはロアだった。心配して追い掛けて来てくれたみたいだ。その親切が今は凄いお節介に感じる。
「……分かってるわよ」
立ち上がり、皆の所に戻ろうと踵を返した。
ロアの言葉は否定出来ない。あたしが何時までもこんな所で黄昏て居たら、それこそ世界の崩壊は進んでいく。悩んでいる暇は無いのだ。
夢喰いが復活した事と、それを封印する手立てがウィンドブレス――ロアの故郷に有るかもしれない。今はその事を考えれば十分。
これ以上皆に迷惑を掛けるのもアレだし…。ヘレンの言っていた件については、また今度考えよう。
SAINT ARTS本部の入り口に手を掛けた時、急に肩を掴まれた。振り返ると真剣そうな顔でロアがこっちを見ている。
「…何よ」
「何か合ったのか?」
――…それ、一番痛い質問だ。思わず視線が泳いでしまった。
「…別に」
「嘘だな。絶対何か合っただろ。……何が合った?へレンの事か?」
「…違う」
まあヘレンの事って言ったらそう何だけど、これはあたし個人の問題でも有る。
第一こんな根も葉もないヘレンの言葉を信じるあたしもあたしだ。……けれどヘレンのあの言葉。肯定の証拠も無ければ否定の証拠も無い。
寧ろあるのは肯定の証拠…。――あたしの体を通して夢喰いが復活したのなら、それは決定的な肯定の証拠で有る。

「……あのさ、イヴ」
「……」

「俺達ってそんなに頼りない?」

そういう訳じゃないけど、これは確信出来た事じゃないから今は言えない。――第一、言って何になるんだ。
今になって10年前の事を頑なに隠していたセルシアの気持ちが理解できた。誰も理解してくれる筈ない。どうせ話したって意味が無い。だから自
分独りが黙認しておけば、それで良い―――。…きっとセルシアもそんな気持ちだったんだろう。今のあたしと一緒で。

「セルシアの時もレインの時も、お前が自分で言ったんじゃねえか。自分独りで抱えようとするんじゃねえ」
……うん、そうだ。あたしが確かに言った。
レインにもセルシアにも、過去の事を独りで抱えるのは止めろと。記憶の何処かでそう訴えた事を覚えてる。
けれどこれはもう別格の問題だ。あたしの所為で夢喰いが復活してしまった。その重みが、痛い。
「――だから、何でも無いってば」
冷たく突き飛ばし、もう一度本部入り口の扉を開いた。
…そして硬直。扉を開けた手が空中で静止する。

「何でもない、って言葉が一番裏有るのよ。知ってた?イヴ」
「俺達全員、お前を信じて此処まで来てるんだぜ?いまさら抜け駆けはねえだろ。おい」
最初に目に入ったのは、扉の前に立っているリネとレインの2人だった。先程ロアを追い掛けて此処までやってきたのか、それとも―――。
後ろから顔を覗かせたセルシアが同じく声を投げてくる。
「今のイヴ。昔の俺みたいな目してる。…全てを自分独りだけで抱え込もうとする、悲しい瞳」
――やっぱりセルシアが一番誤魔化せない、か。同じような経験してるもんな。
自分の所為で誰かを不幸にしてしまう。そんな恐怖と苦しみは、セルシアが一番知っているだろう。
「話すに決まってるわよね?」
「皆、イヴの事心配してるんだよ。だから、ちゃんと頼ってほしいな…。
私達もイヴの事本気で信頼してるから、イヴにも私達の事、本気で信頼して欲しい」
更に其処から顔を見せたマロンとアシュリーからの、追い討ちとも呼べる一言。
…自分では結構平常に振舞ってるつもりだったんだけど、やっぱりバレちゃう時はバレちゃうか。セルシアとかそうだったもんな。あたしも嘘吐くの
下手なんだろうか。

「……」
閉じていた唇を、少しだけ開く。――此処に居る彼等なら、受け入れてくれるんだろうか。
例えあたしが誰であろうと、最後は笑って迎えてくれるのだろうか。
…きっとセルシアがあの過去を隠していた最大の理由は、ずっと信じていた人から‘軽蔑’されるのが怖かったから何だろうな。だって、今のあたし
もそうだから。
「お前が…イヴが何を背負っていても…俺達は受け入れるよ。同じ過ちはしないって、俺達も決めたから」
差し出されたロアの言葉に胸が痛む。喉元から胸元に掛けてが熱くなって、自然と頬に涙が伝った。

「――夢喰いの復活の条件、覚えてる?」
気付いたら唇を開いていた。即座に反応したリネが上を見上げながら呟く。
「5つのネメシスと‘生贄’を、クライステリア・ミコト神殿で祭る事…だっけ?」
「うん、そう。で、その生贄は」
「…ウルフドールの王族の血を持った者でないといけない」
レインが口を挟む。…やっぱりそうなのよね。あたしの聞き間違えでも無い。これはきっと確信された真実。
一瞬唇を噛み締め俯いたが、これ以上逃げて何になると自問して、震える唇をもう一度開いた。
「――へレンが言ったのよ。あたしもウルフドールの王族の血が流れてるって」
「――!!」
流石にそういう反応が来るよな。…見渡した限り6人の顔が驚愕の顔に変わっていた。
「あたしの体を贄にして夢喰いが復活した。…へレンがあたしを通して夢喰いを復活させるって言ったしね。間違い無いわ。きっと」
「じゃあイヴは…」
「…アシュリーと何処かで血縁関係なのかも。それもヘレンに言われた」
此処まで言い切ると逆に何かすっきりする。皮肉じみた苦笑が唇に浮かんだ。
――沈黙。
絶対こうなると思ったけど、予想通り過ぎてこれ以上何を喋れば良いのか分からない。
此方も沈黙したまま動けずに居ると、ロアが無理に腕を掴んできた。


「で?」

「…は?」

――で、って。
そんな事言われてもこれ以上話す事何か無い。こっちが困った顔をするとロアが行き成り腹を抱えて笑い出した。
「ちょ、ちょっと。こっちは真剣に悩んでるんだからね?!」
声を投げると地面に座って爆笑したままのロアが、笑い涙を浮かべながら言葉を続ける。
「いや…そんな事で悩んでたのかって思って…」
「そんな事って……もうちょっと何か無い訳?驚くとか、引くとか」
やっと笑いを収めたロアと改めて向き直った。表情を再び真剣な物に切り替えたロアが、真顔で質問をする。
「何で引かないといけねえんだよ」
「…あたしウルフドール族かもしれないのよ?」

「ウルフドールだろうと何だろうとイヴはイヴだろ?」

…ご尤もな言葉だ。例えあたしが違う種族でも、あたしはあたし…ね。ロアにしては良い事言うじゃない。
と、心の中でふざけてみる物のロアの言葉がかなり胸に響いた。
それで皆は本当に良いの?そう思い他の5人の表情を見渡す。…全員微笑んでいた。

「イヴが何者かなんて俺達には関係ねえよ。お前は誰よりも頼りになる――WISH*UNIONのリーダーだ。そうだろ?」

――ああ、何か。小さな事で悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
初めからちゃんと誰かに話せばよかったかもしれない。だって此処はこんなにも安心できて――こんなにも信じ合える。


「…ありがとう」

精一杯の笑顔で返した。
言葉に出来ない気持ちも思いも、全部その言葉に込めて、噛み締めるように発する。
同じく微笑んだロアが、それからアシュリーの方を見る。

「…イヴが私と血縁かは、私は分からないけれど…お父さんなら知ってるかもしれない」
アシュリーの父。――ウルフドールの象徴とも呼べる存在。
恐らくアシュリーの倍の年齢は生きているだろう。その人なら確かに何か知っていても可笑しくない。

「じゃ、ウィンドブレスに行く前に寄り道追加しようぜ。――追加先はグランドパレーで」
軽く声を上げたレインに、顔を引きつらせる。
「そんな時間無いでしょ。別に今行かなくても――」
「はいはい、俺はイヴの嘘が聞きたくてこんな事言った訳じゃないの。…イヴが一番知りたいでしょ?自分の事」
…否定はしない。確かに知りたいとは思った。あたしが本当にウルフドールの王族の血縁なら、何故人間と同じ様に育てられたのか――。
…その答えの先に、きっと母が白のネメシスを持っていた理由が有るのだ。
同時にずっと前から気にしていたその理由も知る事が出来るのかも知れないのだから、知りたいとは思う。
けれどそれを知ってる間にも、確実に世界は崩落していく。現に南の果ての島ではもう夢喰いに寄る世界の崩壊は始まっているのだ。ネオン達の
言う通り此処が墜とされるのも時間の問題なのだ。

「だけど夢喰いが――」
「1時間ちょっとぐらいなら夢喰いも待ってくれるだろ」

何て無茶苦茶な。レインの言葉に眉間に皺を寄せた。

「…世界の事も勿論大切だけど、俺達は同じ位イヴの事も大切なんだ。……ほっとけないよ」

遠くに居たセルシアが此方に近づいてきながら微笑する。
…ああもう。何かこれ以上あたし独りが反論しても意味が無い気がしてきた。

――世界と同じ位大切。…ね。それは有り難い御言葉だわ。薄く滲んだ涙を拭って、もう一度小さくありがとうと呟いた。










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